私が初めに本格的にエネルギーヒーリングの学びを始めたのは、1990年です。
その後1996年にレイキと出会いました。
当時日本に再輸入するカタチでレイキを伝えたのは、札幌在住のドイツ人ティチャーでしたので(現在は海外在住)、今思うと周りのレイキ人口は多かったのかもしれません。
更に他地域の友人知人達が続々とレイキヒーラーになっていきました。
ただ当時の私は、他のエネルギーヒーリングやハンドヒーリングと同様のものと捉えていました。
それに私は、それ以前に学んだハンドヒーリングを通して、
かなり大きなヒーリングクライシスを体験してトラウマにまでなっていたことがあったので、
エネルギーワーク自体を警戒してもいました。
本能的にはピンとくるのだけれど、どこかに警戒心もあったのです。
ところが縁があってレイキアトゥメント(伝授)を受けることになったのです。
それでも伝授された概念や使い方以外は、今まで学んできたエネルギーヒーリングとの大きな違いは、
感じられず、むしろ、同系のエネルギーを角度違いで使える新しい手法を覚えた、という認識でした。
更にその後の私は、スピリチュアルな世界と関わる中で、新たなヒーリングクライシスが何度も起こり、
現実生活にも影響を及ぼすようになっていきました。
ヒーリングクライシス(スピリチュアル・エマージェンシー等とも言います)が、何度も繰り返し起こったのです。
そして数年後しばらく経ってから、私が受けたレイキのグループで扱っていたサイキックな方法が、
ヒーリングクライシスの要因になっていたことがわかりました。
幸せなブラッシュアップをするために受けたことが、残念ながら足をひっぱり、生命力は創造力等を低下させていたのです。
それは私が関わった先生やヒーラーさんが悪意があったわけではなく、
本筋からずれている手法だとは知らずに使っていたことに、由来していました。
でも、あとから再認識できたことがあります。私自身がどこかに違和感を感じていたのに、
そのグループに関わり続けていたのです。そうです、何かがおかしいと薄々わかっていたのです。
でも、関わっている人達自体はいい人だからと、様子を見ようとしたのでした。
初めから心身不調だったわけではありませんでしたので。
どんなに親しい相手であっても、またどんなに信頼できると思っていた相手であっても、
違和感がある時や初めはなかった違和感が出てきた時は、無視せずに対応することが肝心です。
このヒーリングクライシスや違和感に関しては別記致しますので、そちらをご参照ください。
そういう要因がわかったことと前後して、新たに参加したワークショップで私は、
今まで知られていなかったレイキの本質を知りました。それは天の計らいのようなタイミングでした。
当時は量子力学という言葉は使いませんでしたが、レイキは時空を超えることや
、意識のシフトや認識転換を促すことを知ったのです。
それは、私が精神世界の旅を始めた頃に出会ったバシャールやオコツト等という存在を通して知った観点と
共通している原理が基になっているものでした。それは目からウロコが落ちる出来事でした。
今まで知っていた他のハンドヒーリングとは一線を画しているのだと理解できて、
これがレイキの本質だと私の本能に響きました。
そして、私はその真髄を伝えていきたい!と思うように変わっていったのです。
本当のレイキが使えるようになると、明るい人生を創る人が増えるから!
そうすると世の中は軽やかで明るくなるから、縁がある方に伝授したいと思うようになりました。